札所の地図データをまとめた。猿島坂東三十三札所すべてを同定できた。カシミール3Dで読めるgdbデータファイル(sashima33gdb.zip)をアップロードした。
SS01福寿院 N36 05 07.7 E139 47 21.5 11 m
SS02大竜寺 N36 05 10.1 E139 47 18.0 10 m
SS03吉祥院 N36 06 18.4 E139 47 37.9 11 m
SS04香取院 N36 07 30.7 E139 46 46.2 13 m
SS05善福院 N36 09 01.0 E139 46 59.3 13 m
SS06妙法寺 N36 08 37.8 E139 47 23.3 16 m
SS07般若院 N36 09 01.3 E139 47 39.2 16 m
SS08仲山観音 N36 10 50.3 E139 48 17.0 16 m
SS09久昌院 N36 09 50.8 E139 48 19.5 20 m
SS10遍照寺 N36 08 57.7 E139 48 38.2 18 m
SS11常繁寺 N36 08 06.0 E139 50 46.7 16 m
SS12宝蔵院 N36 07 39.5 E139 52 46.6 18 m
SS13福乗院 N36 06 35.8 E139 50 48.3 26 m
SS14慈眼院 N36 06 12.9 E139 48 19.7 14 m
SS15大照院 N36 05 29.5 E139 50 21.0 15 m
SS16金剛院 N36 04 13.7 E139 50 19.8 14 m
SS16東光寺 N36 03 46.1 E139 50 43.1 15 m
SS17萬蔵院 N36 05 47.8 E139 50 47.6 15 m
SS18伝授院 N36 05 19.8 E139 52 03.3 16 m
SS19東光院 N36 05 50.5 E139 53 00.7 18 m
SS20福寿院 N36 06 04.7 E139 53 49.9 33 m
SS21照明院 N36 05 04.5 E139 53 01.4 16 m
SS22正光院 N36 04 31.7 E139 53 27.7 15 m
SS23萬福寺 N36 04 50.6 E139 52 47.2 14 m
SS24浄泉寺 N36 04 12.0 E139 52 12.5 15 m
SS25延命寺 N36 03 34.2 E139 53 34.5 9 m
SS26自性院 N36 03 37.1 E139 53 52.1 14 m
SS27歓喜寺 N36 02 18.2 E139 54 11.2 14 m
SS28延命院 N36 01 55.9 E139 55 04.6 20 m
SS29泉福寺 N36 00 55.1 E139 54 52.3 12 m
SS30大安寺 N35 59 46.2 E139 54 19.4 14 m
SS31観音寺 N35 59 46.7 E139 53 27.6 16 m
SS32地蔵院 N36 00 53.7 E139 52 43.0 16 m
SS33長谷寺 N36 02 03.7 E139 52 27.8 14 m
第二十五番札所延命寺の山門と石の太鼓橋は市の文化財とある。
左手の駐車場には二十五番札所の碑がある。
薬師如来を祀る薬師堂に聖観音が祀られていると「観音霊場巡り」にはあるが,こっちの資料に は千手観音様が祀られているとある。千手観音のご真言を唱えた。
第二十六番札所自性院はほんの目と鼻の距離にある。歓喜寺の杉木立の涼やかな参道が正面の本堂に導いている。ここは 関東八十八ヶ所霊場の第四十番札所でもある。
山道の脇に小さな観音堂がある。まずはここで心経を誦して十一面観音様のご真言を唱えた。
観音様はご本尊の不動明王とともに本堂に祀られているようだ。
GPSが示す第二十七番札所歓喜寺への道は,途中から菅生沼に注ぐ川の脇道を示した。夏草が生い茂る砂利道だが,とりあえず従うことにした。
第二十七番札所歓喜寺の境内の左手に朱塗りの観音堂がある。この観音堂は中山家が建て,それからも代々修復を重ねてきたことを記す碑がある。心 経とともに聖観音様のご真言を唱えた。
境内の中央には天然記念物の江戸彼岸桜の大木が聳えている。春に再び訪ねてみたいものだ。
第二十八番札所延命院へは南下して廻るルートを予定していた。しかし,歓喜寺を出て 走り出した方向を間違って来た時のルートを進み始めたので,GPSが新たなルートを再検索した。新ルートは,後から見ると,逆戻りの道のりで遠回りのもの となっていた。GPSは移動を始めないと自分が何処に向かっているのか分からない。コンパスで向かう方向を確かめれば良いのだが適当に出発して,GPSの 再検索が示す新しいルートを辿って迷子になってしまう。ようやく,GPSのルート再検索をオフにすれば迷子にならないことに気がついた。これで,最初に設 定したルートが辿れることになる。やれやれ,機械に振り回されていた...
第二十八番札所延命院の境内は広い。左手には気合いの入った朱塗りの観音堂がある。擬宝珠をもつ石段は前回平成13年の開帳のものだ。聖観音 (大慈大悲観音)様に心経とご真言を唱えた。
境内に右手には毘沙門堂がある。菅生沼七福神の一つだ。
境内の正面にはやや古びた不動堂があり,その裏手には有名な平将門の胴塚がある。ちなみに,首塚で有名なものは東京の地下鉄大手町駅の近くのも のがある。写真右の碑が首塚にあったものだという。
延命院を後にして,GPSのルートに逆らって菅生沼の景色を眺めながら,遊歩道をのんびりと第二十九番札所泉福寺に向かう。
第二十九番札所泉福寺も広い敷地を持つ。
境内には本堂,地蔵堂・太子堂の他に菅生沼七福神の大黒天を祀る堂宇がある。
正面の本堂内の右手には聖観音が厨子に祀られている。
第三十番札所大安寺は,あろうことか(?)ラブホテルが寺の脇にある。
聖観音をまつる観音堂は左手にある。
扁額に第三十番札所であることが書かれている。
大安寺をすこし南下すると矢作(やはぎ)の交差点に至った。ここからUターンして北上していく。
第三十一番札所観音寺は天然記念物のカヤの大木を持つ。まずは木陰のベンチで休息をとった。
聖観音様を祀る観音堂は境内の左手にある。
第三十二番札所地蔵院は県道のすぐ脇にある。
観音堂の参道は幟が立ち並び賑やかだ。
堂内にはガラスケースに収められた前立ちの千手観音がある,ご本尊はその後ろの厨子の中だ。
いよいよ結願の第三十三番札所長谷寺である。入り口にはこれも天然記念物のイチョウの大木がある。
1人の老爺(自分もそうだが)が境内の草取りを一心にしていた。
十一面観音を祀る本堂は元禄初期のものだそうだ。さすがに結願札所の貫録がある。本尊の十一面観音は奈良の長谷寺と同じ木で造られており, 800年には坂上田村麻呂が立寄って戦勝祈願をしたとある。
とうとう結願したが,秩父札所巡りのときのような感慨は湧いてこない。やはり,自分の足で巡礼したのとは違うのだろうか?
八坂公園まで戻り,34.8キロ,2時間8分の行程を終えた。
帰路の途中,自宅からほど遠くない羽成観音堂(常陸西国三十三札所第二十一番札所)に結願のお礼参りに立寄った。巡礼が無事に済んだことを感謝 し,そして,この巡礼で常に願ったことをもう一度繰り返した。
観音堂は十一面観音様を祀っている。
堂宇には,厨子の前に十一面観音様の写真と,住職らしき方の写真が飾ってあった。
第十九番札所の東光院は辺り一面の畑の中にポツンと島のようにある 。じつにのどかな風景だ。
脇には東光院と観音堂の由来を説いている石版がある。
堂内の厨子は閉じたままだ。
第二十番札所福寿院は旧猿島町沓掛の繁華街をちょっと外れたところにあった。稲荷神社と集落センターとケヤキの大木が並び立っている。
観音堂は十一面観音様を祀っている。
じつはこの観音堂も,地図で調べた場所とは違っていた。街中の大きなスーパーマーケットの前に立派な観音堂があるのだ。しかし,この観音堂は如意輪 観音様を祀っていると額にある。おかしいと思い,スーパーの開店を待っていた地元の婦人に聞いたら,猿島坂東札所の観音堂は別な場所にあることが分かっ た。どうみてもこちらの観音堂の方が立派である。
第二十一番札所照明院は「観音霊場巡り」の資料では声明院 と書かれている。香取神社と集落センターとその一角のゴミ置き場の脇に小さな堂宇がある。
小さな堂宇の額には,声明院ではなく,照明院とある。しかし第八番とはなんのことだろうか? 内部には二体の石仏があり,そのうちの一体は弘法大師かもし
れない。集落センターに祀られている聖観音様を想像して心経を誦して真言を唱えた。
GPSが示す第二十二番札所の正光院への道は ,田圃のあぜ道を示している。やむなく辺りの小道をぐるぐる回り,迷いながらようやく到達した。
山門をくぐると新築(まだ建造中かも?)の本堂がまぶしい。
境内の左手に観音堂が建っている。欄間には色々な動物が彫られている。それは立派な観音堂だ。
中を覗くと,ガラスケースに収められた,新しい十一面観音様が見えるが,連子のガラスとケースのガラスが反射して良く拝むことができない。隣の厨子 は閉じられていることから,前立ちの十一面観音様かもしれない。
第二十三番札所万福寺は杉木立の中に佇んでいた。「観音霊場巡り」の資料には十一面観音様が祀られているとあるが, この資料に は聖観音がご本尊とある。唱えた真言は聖観音様の「おん あろりきゃ そわか」とした。
第二十四番札所淨泉寺は開けっ広げの観がある。
観音堂は聖観音様を祀っているという。
今日はここで打ち止めとして,出発点の萬蔵院に戻った。それにしても,暑い。走行距離はちょうど27km,実走時間は1時間29分であった。
本屋で立ち読みした茨城県の地図は,東漸寺の西方に仲山観音を示していた。Webの電子地図には載ってなかったが,ご当地の地図だとこんなにも詳し いのだ。
堂宇の額にはここが八番札所であることが書かれている。
この仲山の地の周りはかつては沼だったそうで,江戸時代は船でここに巡礼したという。
12年に一度の巳年にしかご本尊の十一面観音様は拝むことが出来ない。次回の開帳年は平成25年だ。
前回の巡礼の帰路を辿って,第九番札所の久昌院に向かった。立派な山門をくぐった境内には6つの堂宇があった。
左手の3番目の堂宇が猿島坂東三十三観音霊場第九番札所の千手観音様を祀っている。
左手の一番奥には葛飾坂東三十三観音霊場の第十八番札所の十一面観音様を祀る堂宇がある。この久昌院は両方の霊場の札所になっているのだ。葛飾坂東 の方は猿島坂東に一年遅れての午年のご開帳だそうだ。
さらに南下して,県道17号(野田結城線)から参道が続く第十番札所の遍照寺に来た。15日の盆踊りの会場になるようで,やぐらが設えてあった。
本堂を覗くと,中央の釈迦如来の向かって左に厨子がみえる。この中に十一面観音様が祀られている。前回のご開帳では,観音様の手に結んだ紐を境内に 導き,これを触って観音様を拝んだそうだ。
厨子の上を見ると観世音の額が掲げられている。話しをしてくれた住職によると,かつての観音堂を覆うように本堂を建てたという。この住職が見せてく れた前回のご開帳(平成13年)の記念誌は立派なガイドブックであった。当時の札所事務局が発行したものらしいが,いまでは入手できるかどうか?
実は,ここを訪れた時にこの十番札所の参道の脇にある千手観音様を祀った堂宇を札所と間違えてしまった。境内で住職に声を掛けられて,話しを伺って 初めて,本堂内に本来の札所・ご本尊があることを知ったのだ。これも観音様のお導きか。因みにこの堂宇の千手観音様はご開帳されている。
周りの緑の稲田に映える,第十一番札所常繁寺の丹塗の山門は鮮やかだ。
山門をくぐった左手に観音堂がある。
額から第十一番札所で千手観音様をお祀りしていることがわかる。
GPSが示す,第十二番札所宝蔵院の場所には集落センターとトイレがあるだけだった。
しかし軒先の額にはここが札所の観音堂であることが示されている。心経を誦して十一面観音様のご真言を唱えた。
第十三番札所福乗院は予め地図で調べたが,同定できなかった。 予想した場所には墓地しかなかった。菅谷の集落に入って雑貨屋でパンとドリンクを買いながら,福乗院を訪ねると,すぐ向かいだという。店主のおかみさんと 前回のご開帳の話しなどをしながら,冷房の効いた店内で休息した。堂宇は焼失したのを前回の開帳の折りに再建した新しいものだった。
ふたたび境町に戻って,第十四番札所慈眼院を探した。が,カシミールで下調べしてGPSに転送したデータが示す場所は神社,墓地,集落センターがあ る地域だ。墓参に来ていた人に尋ねると,集落センターで聖観音様を祀っている,とのこと。ここの墓地も三番札所の吉祥院の管理だ。
集落センターの玄関前で心経を誦して,ご真言を唱えた。
集落センターの脇には石仏が纏められているので,かつてはこの地に慈眼院があったのだろう。
ここからは,クルマをデポしてある出発点の道の駅に近いのだが,次回の巡礼の道程を考えてもう少し廻ってみることにした。
第十五番札所大照院も木立が涼しげな伸びやかな境内をもつ。
左手には二つの堂宇が並んでいる。
聖観音様を祀る観音堂は手前の丹塗の堂宇だ。
ここから十七番の萬蔵院はすぐ裏手にあるが,順打ちに拘って南下して十六番に向かった。十六番は二つの札所となっている。まずは境町若林の金剛院を 訪ねた。
扁額には確かに十六番札所とある。 この寺の前にあった観行院が消失してその観行院の本寺であった東光寺に焼け残った聖観音様も移されたそうだ。この金剛院観音堂は平成元年の開帳のために新 設された,と堂宇の脇の石碑にある。
堂内には聖観音様を祀る厨子が見えるが開帳されてない。
さらに,南下して長須の東光寺を探した。
こちらの十六番札所は厨子が開かれていたが,瓔珞も宝冠も着けてないことから,どうやら釈迦如来様のようだ。
ふたたび北上して第十七番札所の萬蔵院に向かった。ここは猿島坂東三十三観音霊場を開いた雄弁上人が起こした寺だそうだ。少し前まではアジサイが咲 き誇っていただろう参道を進むと山門に行き当たる。
境内は広く,左手にベンガラ色の観音堂が木立の中にある。
心経と十一面観音様の真言を唱えて,改めて境内を見渡す。
立派な本堂が目につく。
その脇には開山堂があった。雄弁上人を祀ってあるのだろう。
一休みして,この後をどうするか思案したが,時刻は三時半を廻って居たので今日はここで打ち止めにすることにした。道の駅「さかい」に戻って,クル マで帰路についた。
実走距離は55.32キロ,実走時間は2時間37分だった。出発時には曇っていて日焼け止め処理をサボった御陰で,前腕と大腿がヒリヒリする。
境内は大きくはないが良く手入れされていて,花と池と塔の眺めが良い。左奥には観音堂がある。
観音堂には十一面観音が祀られている。
堂宇の脇には猿島坂東第一番札所霊場の由来が記された石板がある。かなり気合いが入った札所である。
第2番札所の大悲院はほんの目と鼻の距離にある。山門も本堂も近代的な造りである。
どうみても風情があるとは言えない。隣の第一番に比べると,どうも見劣りがする。観音様は聖観音様とある。
再び境大橋を渡って茨城県に戻り,道の駅「さかい」をぐるっと廻って第3番札所吉祥院を訪ねた。山門は鐘をもった楼門造りだ。
ここでは十一面観音をお祀りしているそうだ。
本堂脇には,お顔も判然としないが赤いよだれ掛けから地蔵尊とわかる2体の石仏と,如意輪観音の石仏が安置されている。
354号線を走り,GPSの指示に従って畑道に入った。墓地と荒れた無住の庫裏のある地域に出たと思ったら,立派な山門を持つ第四番札所の香取院 (こうしゅいん)であった。説明書きによれば管理は第三番札所の吉祥院のようだ。
観音堂はなかなかのものである。
聖観音を祀っているというが,厨子の扉は閉ざされていて拝観できない。
黄金色に穂付いた稲を守るための「ドーン,パーン」という 音を聞きながら,田圃の中をGPSを頼りに進んでいく。江戸の昔からそれほど変わってない景色だろうが,この辺りはあちこちで遺跡の発掘が行われていた。 それもそのはず,あと数年後には高速道路の圏央道が通るのだ。その時には景色は一変してしまうだろう。用水路のそばに第五番札所の善福院があった。大きな 堂宇はサッシで閉じられていて,どうみても寺院には見えない。堂宇の脇は公民館の入り口がある。聖観音を祀っているという。
すぐ近くにあるはずのは第六番札所妙法寺の場所は墓地と集落の集会所だ。集会所の表には地蔵様が立っていて,幾つかの線香がたかれていた。平成元年 にはここで千手観音様のご開帳があったようだ。
第七番札所の般若院の境内では子ども達が野球に興じていた。小さい堂宇ながら猿島坂東三十三札所の第七番札所であることが記されて石碑が建てられて いて,気合いが感じられる。
ここの脇を走る道路に出て驚いたことには,ヒマワリ動物病院の黄色い看板を見つけた時だった。2002年12月16日に12年間連れ添った愛犬チロ がこの病院から家に戻る途中で亡くなったのだ。膵臓ガンで一月ほどここに入院中に,ほぼ毎日通い詰めた道だった。そういえば,赤い堂宇が病院へ入る道の脇 にあったような気がする。何とも不思議な因縁を感じた。猿島坂東三十三札所の最北にある,第八番札所の東漸寺についた。参道も広々としており本堂も立派 だ。
しかし,資料の「観音霊場巡り」を見ると,観音堂はこの寺の南西の中山というところにある,と書いてある。地図をみれどもそのような地名は見つから ない。略図でみるとここよりも西の方に卍の印がある。 ここまでで5時近くになったので,今日は打ち止めとすることにした。一番から八番までの行程はたかだか20キロであった。しかし,自宅までの道のりは遠 く,50キロを走らねばならなかった。本日の走行距離は103.4キロ,実走時間は4時間39分であった。猛烈な暑さの走行中の水分補給がたたってか,自 宅付近で腹がシクシク痛くなった。いやはやツール・ド・フランスはこんなもんじゃなかろうね。
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