2008年ハイキング/トレッキング

日光白根山(9月23日,群馬県片品村・栃木県日光市, 晴,2578m)
飛 び石連休の晴れの日を狙い,ガソリン代は相変わらず高いが,思い切ってクルマで遠出をする計画を立てた。ロープウェイで楽をして百名山の日光白根山に白羽 の矢を立てた。4時半に起きて,常磐道,外環,関越道に乗り出した。関越道の伊香保IC手前の駒寄PAからいったん外に出た。思惑は当たり,ここまでの高 速料金が半額になった。このPAがぎりぎり100キロ圏内で,通勤割引が適用されたのだ。再び関越道にもどり沼田ICで降りて,R120で丸沼高原スキー 場に降り立った。ここまでは240キロであったが3時間半ほどかかった。が,カミさんは日光湯本から来た方が近いのではないかという。帰りにはそっちの道を試してみることにした。

ロープウェイからはスキー場のブラシの上でスキーやスノボーをやっている人たちや,菅沼の景色が望める。山頂駅が近づくと「山」字の形の山容の日光白根山が正面に見えてきた。

山頂駅はすでに高度2000mだ。GPSをセットして眼前の日光白根山を目指して,まずは二荒山神社に登山の無事を祈った。

冬にはスノーシューハイキングのコースにもなる緩やかな樹林の小径を歩いていくと小さな大日如来の像があった。コース上には弥陀が池や六地蔵があったりするので,ここは神仏の霊山なのだろうか。

やがてコースは岩がゴロゴロ出てきて,行く手にはガレ場が見えてきた。

後ろを振り返るとすばらしい眺めが開け,指呼のかなたにかすかに富士山が見える。すでにここで,ここまで来た甲斐があった,とカミさんが一息つきながら言う。

道はますます険しくなり,ずるずると滑ることもしばしばとなる。森林限界を超えて,あたりには緑が無くなった。ようやくのことで白根神社奥社の建つ頂上部に着いた。

関 東以北の最高峰というだけあって360°の展望はすばらしい。カミさんも自分も大感激で缶ビールをブシューとやった。東には男体山と中禅寺湖が, それに続く大真名子山・太郎山・女峰山が聳え立つ。風が強い中をラーメンと巻き寿司の昼食をとってエネルギーを補給した。

足下に気をつけながら頂上に向かう。カミさんは足がすくんで立つのもおぼつかない。その足下には五色沼が広がる。頂上の温度計は10℃を指している。

存分に景色を堪能して弥陀が池に下ることにする。この下りも岩がゴロゴロで慎重に足を運ばないと大変なことになる。弥陀が池,菅沼,丸沼のはるか上の方には双峰の燧ヶ岳が見える。まったくすばらしい眺めである。

降り立った弥陀が池はひっそりとしている。ここから五色沼に回ろうかと思ったが,次回にとっておくことにした。ここまでの下山路にはハクサンシャクナゲの木がたくさん見られた。カミさんはシャクナゲが咲く頃にまた来てみたいという。今日は膝の調子も悪くないようだ。

池から少しのところに座禅山の噴火口跡があったが,木々の間になってよく見えない。

ここからの道はステップ幅も適度な階段が続く。風はさわやかだ。ふと,カミさんが木立の向こうを指さすと,そこにはちょっと太めの鹿がこちらを伺っていた。この可愛らしい鹿がシラネアオイを食べ尽くしてしまうようだ。まったく自然の調和とは難しいものだ。

ちょっと脇道にはいって血の池地獄を見てみた。が,一面の草でなにやらよく分からない。山頂駅の近くの六地蔵は,雪除けのためだろうか小屋がかけられている。

3時ちょっと過ぎに出発点の山頂駅に戻ってきた。お湯を沸かしてコーヒーを淹れて,カミさんはスケッチを自分は天空の足湯に浸かった。

8.9キロを5時間28分かけて歩いた。それほど疲れた感じではなかったが,ロープウェイ駅の座禅の湯から出てきたときは大殿筋が強張っていた。カミさんは今まで登った山の中では最高だったと大満悦である。

帰路は金精峠を越えて,イロハ坂を下り,日光道路から東北道の鹿沼ICで降りて一般道を走った。168キロを3時間半で帰り着くことができた。ということは,関越を回らなくても十分であった,ということになる。やれ,やれ...
栂池自然園(8月13日,長野県小谷村,晴, 2010m)
10日ほど前に訪れた立山の自然が思い出され,カミさんが以前から行ってみたいと言っていた信州の栂池を訪れた。直前に毎日新聞旅行社に予約 を入れ たが,運良く夜行日帰りのコースに滑り込むことができた。前夜10時30分に新宿の東京都議会議事堂地下駐車場を出発した夜行バスは,朝の6時には栂池高 原駅に 着いた。ここからゴンドラとロープウェイを乗り継いで自然園に行くのだが,今日のゴンドラの始発は7時である。そこで,お握りを食べてエネルギーの補給を した。ゴンドラからは白馬乗鞍岳,白馬岳がくっきりと見える。下方には狭い道が登って来ている。この道を栂池ヒルクライムでは登るのだろうが,それにして も 急勾配で急カーブの連続である。全長17.1km,標高差1200m,最大斜度10%,平均斜度7%のコースだそうだ。いつかはチャレンジしたいと思って いたが,これからでは難しいだろうか?

小一時間で栂池自然園に到着した。ロープウェイから自然園までの道ばたには早くもタテヤマアザミが鈴なりだ。

前回の立山でトレッキングシューズが破損したので,同じメーカーの同じサイズを新調したのだがスタイルが少し細身になっ ていて少しばかり窮屈な気がする。やはり店内を少しばかり歩き回っての試し履きではダメなのか。ビジターセンターの訪問は後回しにして園内に入る。セン ターの裏手 には昭和18年に建てられた栂池ヒュッテが記念館として保存されている。

園内の小川に泳いでいるのは鱒だろうか。

まずは水ばしょう湿原を歩いてみるが,この時期ではコバイケイソウばかりである。コバイケイソウは3年おきくらいに,片まって咲き乱れるそうだが今年は当 たり年では ないのだろうか。木道の脇に初めて見る赤い花が咲いているが名前が分からない。後ろを歩くご夫妻が,持っている写真アルバムを示してオニシオガマだと教え てくれた。

同じく鬼を冠するオニシモツケが咲いているのを眺めながら木道を歩いていくと風穴の案内板があった。顔を近づけるとヒンヤリと冷蔵庫からの冷気が立ち上っ てくる。温度計は6℃を指し,残り雪が見える。

浮島湿原からモウセン池に至る間の 池塘の周りが赤く見える。よくみればその赤い縁取りはモウセンゴケが作っていることがわかる。食虫植物として有名だが本来の栄養は湿原の泥炭から摂ってい るそうだ。それにしても見事な群落だ。

10日前の立山では可憐に白く咲き誇っていたチングルマはここではすでに綿毛を備えていた。このチングルマは草本ではなく木本であるというのが驚きだ。 マッチ棒く らいの茎(幹)になるのに10年はかかるという。

風穴の先にはキヌガサソウ,モミジカラマツ,クルマユリ,ヒオウギアヤメそして立山ではようやくのことに見つけたくらい少なかったタテヤマリンドウが咲き 揃っていた。



楠川にさしかかる道ばたにはイワイチョウ,タチフウロが出迎えてくれた。

楠川を過ぎると道は岩だらけの登山道のようになる。ここまでもサンダルでくる観光客もいるが,捻挫しはしないだろうか。すでに花も終わり,おいしそうな実 を付けたサンカヨウを 見て,振り返れば水ばしょう湿原が霞んで見える。

再び足下に注意して歩を進めていくと草の陰にひっそりと寄生植物のギンリョソウを見つけた。これを見るのは久しぶりのことだ。

浮島湿原のあたりには瓶の洗浄ブラシのようなイブキトラノオが乱舞している。よくよく見れば小さな花の集まりだ。

このゴゼンタチバナも目をこらせば小さな花が集まっている。

今度のシオガマは鬼ではなく蝦夷である。エゾシオガマの花びらは巴状になっていて今にもクルクルと回り始めそうに見える。

モウセン池のあたりのやや急坂を上り詰めたところが栂池自然園の目玉スポットの展望湿原だ。ここからは白馬岳の大雪渓が望めるはずだったが,ほんの2,3 時間の間に天候が悪く なってきて,大雪渓は雲の切れ目に一瞬の間だけしか見ることができなかった。時間はかなり早いが雲の晴れ間をまちながらブランチをとることにした。プ シューとビールの缶を開けているのは我々だけである。ブランチがおわっても相変わらず白馬岳は見えなかった。

展望台からはヤセ尾根を歩くことになったが,夜行バスでの寝不足状態にビールは効いたようで,足下には十分注意していかなければならなかった。それでも下 を見ればソバナやすこし色づいたナナカマドが映える。

復路は浮島湿原の反対側でふたたび平坦になり黄色のニッコウキスゲ,ミヤマアキノキリンソウと白いワタスゲが目立つようになった。



出口(入り口)近くの水ばしょう湿原に戻ってくるとヤマハハコが別れを惜しんでくれているようだった。

ビジターセンターを見学して,自然園の外で持参したガスバーナーでようやく暖かいコーヒーを入れることができた。

7.4kmを5時間ほどかけてのんびりとまわった。帰りのバスの時間までに30分ほどあったのでお約束の温泉で汗を流した。
途中の中央高速の談合坂からは例によって渋滞に巻き込まれたが,9時前には新宿に帰り着いた。この時間帯でも都会のアスファルトの熱気には辟易した。この 夏にもう一度出かけるのは無理だろうか。
立山(浄土山,雄山,大汝山)(8月1日〜2日,富山県 立山町,晴,2831m, 3003m, 3015m)
カミさんの友人Yさんからの誘いで北アルプスの立山縦走のハイキングの話にのせてもらった。2005年の9月に室堂平,弥陀ケ原を散策した折 に,いつかは3000 メートルの立山に登ってみたいと思っていた。今回の毎日新聞旅行のコースは前日の22時に竹橋を出る夜行バスに乗り,当日の7時に室堂ターミナルに到着 し,一ノ越,雄山,大汝山,富士の折立,大走りと歩いて雷鳥荘に泊まり,翌日の昼に室堂を発って21時に東京に帰ってくる,というものだ。あらかじめガイ ドブックやインターネットで調べてみると,今年は残雪が多く,大走りの下部の雪渓は苦労しそうだ。急遽,4本爪の軽アイゼンを用意した。22時30分に竹 橋の毎日新聞社前を発ったバスは中央高速に入った。夜中に2回のインターでの休憩があったがうつらうつらと浅い眠りを繰り返した。5時ごろの北陸道のイン ターでの 休憩でようやく目を覚ました。3年前は立山駅からケーブルカー,乗り合いバスを利用したが,今回は乗り換えなしで一直線に室堂ターミナル に到着した。
時 間は7時過ぎだがすでにターミナルは観光客や登山者であふれそうになっている。我々もお決まりの記念碑の前でツーショットを撮り,その裏側で玉殿の湧水 をつかったスープとおにぎりで朝食をとった。立山の経験者であるYさんも雪渓歩きはやったことが無いというので,コースを変更して浄土山を回って みることにした。室堂平から見てもあちこちに雪渓が残っている。上での情報次第では富士ノ折立を踏んでから大走りを通らずに一ノ越に引き返すルートをも念 頭において出発した。時は夏,朝は8時,片丘に露満ちて...快晴の天気の中を浄土山を目指した。


日本最古の山小屋と言う室堂を横目に浄土山への石畳を歩んでいく。路傍にはチングルマ,ヨツバシオガマが咲いている。

やがて室堂山の展望台への分岐に着いた。この辺りからYさんは遅れがちになってきた。彼女は,ここで一息入れるから二人で展望台に行ってくれ,と言う。展 望 台からは雲の晴れ間に遠くに薬師岳が見えた。

再び分岐に戻り雪渓を渡って浄土山への岩場に取り付いた。大きな岩がゴロゴロしている急斜面の路をエンヤコラと登って行く。

Yさんは完全に遅れてしまい,自分が引き返してリュックを肩代わりしてやる。予定を30分ほどオーバーして2時間かかって2831mの浄土山の北峰に着い た。ここには祠の石垣が残っていて,その裏には日露戦争の戦病死者の慰霊碑が建っていた。

一休みした後に南峰に向かう路は,イワギキョウやタカネウスユキソウ,アキノキリンソウ,ミヤマリンドウ,シラネニンジンなどの高山植物が咲き乱れるまこ とに気持ちのよい 草原だった。


北峰には富山大学の研究所があり,その向こうに荒々しい竜王岳が聳えている。ここでも小休止をとった。

竜王岳北峰からは一ノ越まで下りが続く。その間にもタカネツメクサの乱舞する姿や屈んでみてようやく分かる愛らしいツガザクラに疲れも忘れるほどだった。


一ノ越は室堂から登ってきた小学生や中学生の団体で溢れかえっていた。二ノ越,三ノ越を目指してがれ場の路に取り付いたが,小学生の行列に阻まれてなかな か歩を進めることができない。もっと集団を小さくすれば良いのだが,指導者はそんなことは知らないのか,あるいは引率者の数が足りないのだろうか。
ジ リジリと照りつける陽射しの中を足下に注意をしながら登って行くとやや平らな三ノ越に着いた。ここでもYさんが遅れたので再び戻って荷物を肩代わりし た。前夜の夜行バスでの浅い眠りで体調を崩したらしく,いかにも辛そうである。高山病にも罹っているかもしれないが,頭痛はないと言う。このペースでは雄 山の頂上で昼食を取るには遅くなりそうなので,ここで済ませることにした。餅入りラーメンをおかずにお握りを食べる。いつもの山でのお昼と違うところは, ビールがないことだ。この辺りのビールは350ml缶が400円もする。夜行で体調も良好でなく,しかも,3000mの山登りではビールがどんな効き目を 現すのか分かったもんじゃない。Yさんは完全に食欲を無くしている。彼女は,ここまで 頑張ったがここでギブアップして一ノ越で我々を待つ,という。そこで自分とカミさんは立山の最高峰の大汝山を踏破して一ノ越に戻るコースを取ることにし た。

四ノ越までも,あいかわらずがれ場が続く。浮き石を踏まぬように注意して登って行く。この足元あたりに立山トンネルが通っているはずだ,なんてことを考え ながら膝を持ち上げる。

やっとのことで雄山の頂上が見えるところまでたどり着いた。ここの標高は2992mで3000mを体験するには参拝料を払い鳥居の向こうの峰本社に行かな ければならない。

500円を払って登頂のお札と鈴を頂く。神主さんのお祓いを受けてお神酒を頂戴する。足元の碑を見ながら自分の脚で3000mを踏んだ満足感を噛み締め た。


指導標には立山最高峰の大汝山までは400mとある。ここまで来て最高峰を踏まずに帰らりょかとカミさんと歩き出す。やがて大汝山休息所が見えてきた。

この右手を登って行って,ついに3015mの頂上に到達した。東を振り向けば眼下の雲の下に黒四ダムが見える。絶景かな,絶景かなである。

休息所に戻り400円のジュースの代金と100円のトイレ使用料を管理人に払いながら大走りの状態を聞いてみる。今年は立山は空梅雨気味で雨が少なかった ので雪 渓が多く残っているという。大走りも下部に雪渓が残っていて雪の上を歩き慣れているなら大丈夫だろうという。今から大走り経由で雷鳥荘につくのは5時半 ころになるだろうとも言う。ということで,我々は富士ノ折立を踏まずにここから一ノ越に引き返すことにした。一ノ越で待つYさんに携帯電話でその旨を連絡 した。と,ここで自分の靴のソールが両方とも踵の半分が剥がれているのを見つけた。ザックにあったテーピング用の粘着テープで応急処置をした。出掛けに軽 アイゼンを求めたアウトドア店にあった注意書きによると,ウレタンのミッドソールを私用した靴の寿命は5年ほどであるとのことだ。少なくともこの靴は6年 は履いている。保管しておくだけ使用しなくとも寿命があるということだ。
雄山に戻る途中で立ち止まっている登山者から,雷鳥の親子が見えることを知らされた。母鳥と6匹のヒナを見ることができた。保護色のために岩に溶け込んで 見難い。

滑落しないように,応急処置の靴底を気にしながら登ってきた路を下り,なんとか一ノ越でYさんと再会することができた。やれ,やれ。

Yさんは3時半まで待って,来ないようならば先行するつもりだったという。一ノ越から室堂までの石畳の路を下り始めた。祓堂を過ぎると3, 4箇所の雪渓が残っていた。軽アイゼンを試そうかと思ったが,取り付けるのが面倒なので止めておいた。


室堂山荘の脇を通ってミドリガ池に回ると,そこには今さっき登ってきた立山が写っていた。血の池からリンドウ池をぐるっと回ってようやくのことで雷鳥荘に 着いたのはちょうど5時であった。


まずはビールで失った水分を補給した。ほろ酔い加減で風呂に行き,白く濁った温泉で日焼けした顔と前腕を癒した。Yさんはまだ食欲が無いというのでカミさ んと食堂に行った。山の食事 にしてはまずまずだったが,蕎麦はふにゃふにゃで一口で止めておいた。相部屋になった愛知からのご夫婦と少し歓談して,8時には床に就いた。果たして鼾は かかなかっただろうか。

翌朝はバイキング方式の朝食で腹を一杯に満たし室堂ターミナルに向かった。途中のミクリガ池に写る浄土山,またまた出合った雷鳥の親子,早くも実をつけた チングルマ,そしてタテヤマリンドウ・ミヤマリンドウなどを見ながら室堂平を散策した。

再び玉殿の湧水を汲んで持参したインスタントコーヒーを淹れた。インスタントではあるが実に旨かった。Yさんの体調も回復したようだ。

このあと自然保護センターで時間をつぶし,1400円もする普通の(!)カレーで昼食を取った。帰りのバスは7人であった。立山有料道路を下る間にウツ ラ,ウツラしてしまった。バスが止まったところは称名滝の展望台だった。この滝の観望 を再び体験できるだろうか。

1時半に室堂ターミナルを出発したバスは北陸道,上信越道,関越道も渋滞も無く走り,9時前には東京に着いた。
アスファルトからの熱気と人の波に,まさに,山男の唄の「俺達ゃ街には住めないからに」を覚えた。
歩いた距離は10.6キロであったが,休み休みでたっぷりと9時間の北アルプス立山を満喫した。次は劔岳か?



奥日光(6月15日,栃木県日光市,晴)
5時起きして,日光中禅寺湖湖畔の千手が浜に咲くクリンソウ(九輪草)を見に行くことにした。2005年5月29日に高山をハイクしたときに 千手が浜に立 寄ってみたが,クリンソウはまだ咲き始めたばかりであった。ガソリン代も上がって高速料金も払うことになるが,この機会を逃すわけにはいかない(?!)。 ひょっとしたら,前回に満開を堪能したシロヤシオも残っているかもしれない。
3時間ほどで中禅寺湖畔の龍頭の滝の駐車場に着いた。菖蒲が浜のスキー場の脇から中禅寺湖の北岸の散策路に入る。空気はカラッとしているが風が強めで長袖 シャツでも少し肌寒い。ウィンドブレーカーを持ってこなかったのが痛い。しかし,寒さを我慢すれば誠に気持ちのよい日だ。熊窪の浜ではシーカヤックを楽し んでいる。
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ここまでの行程では,残念ながら,シロヤシオは既に散ってしまっていた。やがて,向こうに千手が浜が見えてきた。浜には観光船が引き上げられているのが見 える。カミさんは気が向いたらしく,パステルでスケッチを始めた。自分はあたりのヤマツツジを撮影して時間をつぶした。
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のんびりと2時間半かけて千手が浜に着いた。風が強く,波立っている湖の向こうに男体山が望める。5月の連休にいろは坂を自転車で登って中禅寺を巡礼した ときはすっきりしてなかったが,今日はよく見える。思わず手を合わせてしまった。
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お昼時だが,ダンゴよりもハナで,まずはクリンソウを見に行く。赤沼からのバスで来た団体の観光客が多いが,行列をつくるほどではない。今回のクリンソウ は満開の状態だ。歩いた甲斐があった。
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あたりは小川が流れ,端に咲きそろうクリンソウとの景色が絶品だ。
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たっぷりとクリンソウを堪能した後は,お約束のビールで昼食をとる。が,風が強くてガスストーブの火力も押され気味だった。ラーメンとおじやで冷えた (ビールか,風か?)身体を温めた。
ほろ酔い気分で,西ノ湖(さいのこ)への遊歩道に入る。ここのなんとも気持ちのよい。足下は土で柔らかく,木立が風を遮ってくれる。
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西ノ湖は小さいが,静かだ。特に見るものもなさそうなので小田代原に回る道を進むことにした。この路もいい気持ちだ。あかるい白樺の林のなかを歩いてい く。こんなにもいいところがあるとは知らなかった,とカミさんが嬉しそうに話す。まったくもって,である。

途中,バスの走る舗装道路を2時間ほど歩いたら小田代原のバス停に着いた。ここは2004年,2006年にXCスキーで訪れたところだ。真っ白な銀世界と はまったく違った,緑萌える世界が広がっている。ここで,赤城山の神の大ムカデと男体山の神の大蛇が戦ったというが,どちらが勝ったのか。
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さらに1時間ほど遊歩道を歩き石楠花橋を経て龍頭の滝に着いた。この間に,アカゲラを見つけた。しばらく観察していたが,木をコンコンとドラミングするの は見られなかった。このコースも国道を歩く覚悟をしていたのだが,林の中の遊歩道になっていた。
高山をぐるっと回るコースで19.7キロを歩いたが6時間弱も歩いたという感じはしなかったくらい素晴らしいハイキングコースであった。
お約束の温泉は,いつものやしおの湯ではなく,カミさんの希望で霧降高原の大江戸温泉物語とした。
GPSデータをカシミールに移したが,レレレ,今日のGPSはおかしいぞ。出発点と到着点が一致していないぞ。マップに重ね合わせると,出発してから菖蒲 が浜に出るまでの位置情報がおかしくなっている。PGS側の問題か,はたまた衛星が送るデータに誤りがあったのか...
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高取山・仏果山・経ヶ岳(5月1日,神奈川県愛川町・厚木市,晴,705m・ 747m・633m)
30数年前に藤沢に住んでいた頃にいつかは歩いてみたいと思っていた経ヶ岳に登った。ここへのアプローチの半僧坊という地名が当時から頭の隅 に,なぜかこ びり付いていた。
小田急の本厚木駅に降りたのも実に30数年振りだ。当時の有隣堂書店はまだ健在だったが,その他のビルなどは当時は無かった。駅の発展ぶりには驚くばかり だ。とにかくも半原行きのバスに乗った。バスはどんどん山に向かって走るが,山村というには賑わいがある。やがて立派な半僧坊を過ぎて,ふれあいの村野外 センターのバス停に降り立った。道の突き当たりは,愛川ふれあいの村だ。たったいま散ったばかりの八重桜が地べたを覆い隠している。
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トンネル脇の道路の下をくぐり高取山の登山口に着いた。そこには蛭に注意の看板があり,蛭避けの薬が置いてある。それを足下に噴霧して,シャガに囲まれた 小道に入り込んだ。
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登り始めてしばらく,林が開けたところからは眼下に半原の町が臨まれる。
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鹿避け柵のゲートをくぐって新緑がまぶしい林を登っていく。実に気持ちの良い天気だ。マムシグサの群生も見られる。
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快調に歩を進め,1時間30分で高取山に着いた。展望台の下に場所をとり,お約束のビールで乾杯してラーメンといなり寿司で昼食をとった。お腹も落ち着い たので展望台に登ってみた。西の眼下には宮ヶ瀬湖や宮ヶ瀬ダムが広がっている。素晴らしい景色だ。高取山に回った甲斐があった。
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高取山を後にして次のピークの仏果山に向かった。宮ヶ瀬越に下っていき,ロープが備えられている岩場を登り返し1時間ちょっとで仏果山に到達した。仏果上 人がここで座禅を組んで修行したことにちなむ山名ということだ。
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ここにも展望台があったので登ってみた。眼下には宮ヶ瀬湖が見えるが,眺めは高取山の方が良かった。湖の向こうには大山が見えるが,霞んでしまっている。
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ここから経ヶ岳に向かうのだが,何の気なしに降り始めた道を下から高取山で出会った若者二人が戻った来た。聞けば仏果山から半原に下る道を探しているとい う。この会話で,降りようとしていた道は間違いと分かった。周りを見れば,ついさっき登ってきた道をVの字に折り返す道に経ヶ岳の案内板があった。もう少 し目立つようにしてもらいたいものだ。仏果山からは急な岩場を下ることになった。さらに金冷やしという50センチほどの尾根道になった。カミさんはどこが 冷えるのだろうかと考えながら足下に注意して歩を進めていく。
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丸太の階段をエンヤコラ,エンヤコラと降りていく。膝がガクガクになりながら1時間20分で林道に降り立った。ここが半原越のようだ。カミさんはスキーで 痛めた膝が保ちそうもないと言う。予定では30分と聞くと持ち前の頑固さで経ヶ岳を回ると言い出した。再び丸太の階段を登って経ヶ岳に向かう。
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途中の経石を通って予定通り25分で経ヶ岳に着いた。これ故に経ヶ岳というという説があるようだ。ここでお湯を沸かしてコーヒーブレイクにした。ところが お湯が多すぎて,なんとも薄いアメリカンになってしまった。
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ここからは楽な下りだから,カミさんの膝も大丈夫だろう。緩やかな尾根道をルンルン気分で下っていく。1時間20分で国道が見える地点に着いた。と,思っ たら本厚木行きのバスが頭上を走っていった。半僧坊のバス停に行ってみると次のバスは5時だとある。事前に調べたときは今行ったバスと5時の間にもう一本 あるはずだだが,と思いつつ半僧坊を見学に行った。
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半僧坊をみてバス停に戻ってみると後ろの道路をバスが走っていくではないか。よくみれば半僧坊バス停は道路がYの字になっていて半僧坊バス停が2つあるこ とに気がついた。ようやく,事前にネットで調べたバス時刻表が2枚あった意味がわかった。半原から2系統の路線があってここ半僧坊で道は合流するのだが, バス停は合流直前に2カ所あるのだ。やられた〜。半原行きのバスもここで2系統に分かれるんだ〜。
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まあ,5時のバスにのって本厚木,そして新宿に帰り着くことができた。新宿の大衆酒場でカミさんと労をねぎらい合った。歩行距離11.2kmを総計5時間 50分かけて歩いたとGPSが教えてくれた。
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日和田山・ユガテ(4月2日,埼玉県日高市・毛呂山町・飯能市,晴,305m)
奥武蔵の高麗の山里をハイクした。西武秩父線の高麗駅に10時前に降り立った。昨年の今頃は秩父巡礼で見慣れている駅だ。駅前には天下大将軍 と地下女将軍 の門柱がある。これは何を意味するのだろうか?

線路脇の小道から踏切を渡っていくと高札場跡にでる。ここ曲がるとそこはもう山里の雰囲気だ。巾着田への案内があるが,これは山上から見ることにして歩を 進めた。

鹿台橋の先の交差点を曲がると日高市ふるさとの森に出た。ここから日和田山への登りが始まる。道は杉や檜のチップを敷き詰めて固められているのでスティッ クを使ってはいけないとある。

ふるさとの森が終わったような地点に金刀比羅神社の一の鳥居がある。ここから道は左の男坂と右の女坂に分かれる。男坂は岩場があるというので女坂を選ん だ。とはいうものの結構な坂である。ところどころに五輪塔のようなものがあり山岳宗教てきなムードである。でも,海のない埼玉県になんで金刀比羅神社なの だろうか?

息を切らしながら一の鳥居から15分も登ると,金刀比羅神社の社のある二の鳥居に出た。ここでめでたく男女の坂が会うことになる。

振り返れば,まさに絶景かな,絶景かな,である。眼下には巾着田が望める。高麗川がΩ字に曲がり,その中に作られた田はまさに巾着田となっている。

遠くには富士山や,1月に登った,大山が霞んで見える。汗に十分すぎるほど報いた景色だ。

神社の裏手にまわって日和田山の頂上に立つ。ここには宝篋印塔があり,ますます山岳宗教臭い。遥か遠くには東京の街が見える。カミさんは腹が減ったという が,次の物見山まで行ってからお昼を取ることにした。

眼下にツツジのようなピンクの花を眺めながら気持ちのよい尾根道を歩いていくとNTT無線中継局のある高指山に出た。ブルトーザが入り,何やら騒がしい工 事をしている。ここはパスして先に進む。

舗 装された林道から再び奥武蔵自然遊歩道に入ってすすむと物見山への中間辺りの民家のある山里に出た。向こうの方には茶店が見える。あれが駒高のふじみやら しい。このあたりからも富士山のてっぺんがちょっぴりと見える。トイレもあり,茶店にはビールもおいてあるが,リュックには高麗駅でかった缶ビールが入っ ているのだ。

駒高からどんどん下っていき,ちょっと登り返した先に物見山の標識が見えた。375.4mの三角点はちょっと離れたところにあった。

頂上付近には沢山のベンチがあり,平日にも関わらずハイカーも多い。スミレを踏まないように注意しながら空いたベンチに移動する。さあ,お待ちかねのお昼 だ。その前にビールで乾杯だ。カミさんは2個のおにぎりとラーメン半分をぺろりと腹に入れ,さらにドーナツを食べた。

腹も落ち着き元気も回復したところで,北向地蔵にむかって平坦な気持ちのよい尾根道を歩いていく。

北 向地蔵からは鎌北湖,五常の滝,そしてユガテへ下る道と舗装した林道が分かれる。GPSのマーカーは林道の先にあるように見えるので,林道を下っていっ た。ところがユガテへのコースからは離れていくようだ。10分ほど下ったがもとの北向地蔵に引き返すことにした。カミさんは,ユガテって面白い名前が指導 標にあったよ,という。おい,おい,それだよ〜。物見山方面からは気がつかなかったが(?),指導標の裏にはユガテの文字があった。ユガテへの道は今まで とはちがって,ちょっと荒れ気味で狭い。カミさんと,家族向きのコースとは言えないね,などと話しながら進む。

北向地蔵から40分も歩いたところでやがて民家の屋根が見えてきて,道ばたのカタクリが出迎えてくれたところがユガテであった。

奥 武蔵ハイキングのガイドブックにはここユガテが桃源郷のように書いてあり,期待していた。2軒の家があり,その前にさして広くはないが畑が広がっている。 のどかな春の山里であるが,シャングリラとはちと大げさだ。ユガテとは湯ケ手とか湯ガ天とか書いてあるが,なぜに湯なんだろう?

東吾野駅にむかうコース脇に新しい指導標があった。古道飛脚道とあるので入り込んだ。後ろの山々の眺めは悪くないが,アップダウンを繰り返狭い道だ。

たびたび出てくる新しい指導標は福徳寺を示している。30分も歩いたところで確かに福徳寺に降りた。武蔵野三十三観音霊場の第三十番札所になっている。阿 弥陀堂は国重要文化財に指定されている。

高麗川に沿って歩いて行き,飯能市立病院前の橋を渡ると東吾野駅があった。

のんびりとした今日の行程は,それでも,12.3kmとなり実働5時間03分であった。(地図をクリックすると大きな地図となります)

大山(1月6日,神奈川県伊勢原市,晴,1252m)
好天を見計らって,かねてから思っていた大山詣を実現した。35年ほど前に相模原に住んでいた頃は毎日というくらい穏やかな山容の大山を眺め たものだっ た。佐伯泰英の居眠り磐根シリーズでもこの大山詣が題材になっていたっけ。

常磐線,山手線,小田急を乗り継いで伊勢原駅からさらにバスでケーブル追分駅までいった。そこからケーブルカーに乗ってケーブル下社駅に降り立った。

ここから徒歩で山頂を目指すコースをとることにした。まずは阿夫利神社下社にお参りをした。

団体の登山者に先を譲ってもらって,何の由緒があるのか書き物があったが忘れた,半開きになった登山口を抜けて山頂へ歩を進めた。登山道は整備されている もののけっこう難儀した。

途中には立派な夫婦杉やら面白い岩がある。

圧巻は何といっても富士見台からの富士山でしょう。ここでツーショットを撮影してもらった。この頃にはポカポカ陽気のためにダウンジャケットを脱がなけれ ばならないほどの暖かさになっていた。

カミさんはこっちがタジタジになるほどに,元気な足取りでさっさと上って行く。お陰で1時間ちょっとで頂上に着いてしまった。阿夫利神社本社に改めてお参 りをして後ろを振り向くと,やや霞んではいたが,相模湾のむこうに大島が望めた。汗をかいた甲斐が報われた思いだ。

混み合う山頂で,そこの売店で求めたビールを飲みながら持参してきたおでんを暖めてつまみ,昼食を取った。至福の一時である。
お腹がくちくになったのを潮時に下山することにした。下山路は霜解けでグジャグジャであったが,途中にはこんな気持ちの良い道もあった。

下山途中に何人ものトレールランナーに出会いながら下っていって,見晴台でコーヒーブレークとした。見晴らしは良いが,市街地ばかりであまり面白いところ ではない。

ここから の下山は緩やかな傾斜となり,軽装の参拝客が上がってくる。ケーブル下社駅はすぐ近いことがわかる。再び阿夫利神社下社に戻ってきて,ここからは徒歩で下 山することにした。下山路には男坂と女坂があったので,躊躇無く女坂を選んだ。女坂とはいうものも,膝にガタがくるような,結構な下山路である。

やがて,ケーブルの途中駅の脇にある大山不動尊に着いた。ここでもお参りをした。カミさんが引いた今年初のおみくじは末吉だったそうだ。山岳信仰の山だけ あって,神社仏閣だらけという感じだ。

ケーブル追分駅に戻ってくると,道路脇で紅白の椿が出迎えてくれた。

本日の行程は7.5キロ,歩行時間は2時間18分で休息は同じくらいの2時間3分だった。カミさんは念願の大山登山が実現して上機嫌で,2月はどこの山に 登ろうか,などと言っている。

取手七福神巡り(1月4日,茨城県取手市,晴)
鈍ったからだを目覚めさせようと取手七福神巡りに出かけた。牛久駅まで歩いて,JR常磐線で取手駅に降り立った

取手駅西口から取手一高の脇を通り,踏み切りを渡ってキリンビール取手工場の脇を抜けてぽかぽか陽気の昼時をベーグルを食べながら歩く。このあたりで GPSの軌跡ログがオフになっているのに気づきスイッチをオンにする。光明寺は寿老人を祀っていて,一本刀土俵入りの縁起寺としても名を知られているそう だ。子どものころに駒形茂平なんとやらの劇か映画を見た記憶がある。


再び踏み切りを渡り普門院に向かう。普門院は布袋尊を祀っていて,筆塚なるものもあった。


三番の明星院に向かう途中でカミさんが,腹が減った,というので,元気寿司の看板に歩を向けた。二人で10皿と中ジョッキで腹を満たした。しかし,昼間の ビール(本当は発泡酒だが)は回りますね〜。風が出てきたが,からだのなかからぽかぽかして来ていい気分だ。かなり歩いたところで,それは立派な明星院に 着いた。

ここ明星院には恵比寿さんが祀られている。本当に恵比須顔である。

太子堂と真新しい開山堂もある。

開山堂の裏手には石仏が並んでいる。釈迦10大弟子かと思ったが,知っている舎利弗の名前が無いし,12体である。中には耳かきをしているユーモラスな像 もある。

四番の福永寺は目と鼻の先にあった。ここも立派なお寺である。

本堂の奥手の堂宇に祀られている毘沙門天は左甚五郎の一夜彫という。夫婦円満の霊験あらたかな毘沙門天に,カミさんとうまくやっていけるように,と念じ た。この頃のカミさんは更年期障害も和らぎつつあるようで,体調もよくなっているようだ。

某の和尚が生き入定したという墓もある。我ら衆生を救うために入定したのだろうか?

次の東谷寺もすぐ近くにある。ここは裏にぐるっと回ると本堂がある。

庭の脇には如意輪観世音堂と読める堂宇があった。如意輪観音とは珍しい。

堂宇の前に弁財天が祀られていた。

それにしても,こんなにも狭い地域に3つの寺院があるとは驚きだ。そんなことをカミさんと話しながら,県道11号を取手駅に向かって歩いていくとやがて利 根川の土手に出た。河口から82キロの道標を見ると,先年の銚子の飯沼観音詣の190キロサイクリングを思い出す。

堤防の道を離れて町中に入っていき,取手二高の脇を上がって行って,大銀杏に守られているような念仏院に着いた。

念仏院が祀っているのは福禄寿だ。

階段を下りて再び県道11号にでると,取手本陣跡の案内板が目に入った。立ち寄ろうと門前までいったが,本陣の茅葺き屋根の葺き替えで3月まではお休みと いうことだった。

裏手の駐車場から本陣の裏側をのぞいて我慢した。

少し先に行くと大師通りの案内板があって,7番目の長禅寺に導く石畳調の趣のある道路始まっていた。石段を上がり山門をくぐると観音堂があった。


この観音堂は見かけは2層だが内部は3層になっていて,階段がぐるりと回る間に西国,坂東,秩父観音札所の百観音を拝めるようになっているそうだ。階段は サザエの階層のようになっているサザエ堂としては日本最古のものだそうだ。
観音堂の隣には本堂があり,その前に大黒天が祀られている。

立派な庭園をもつ格式高い寺院のはずで,相馬四国八十八ヶ所の発願,結願の寺でもあるそうだ。境内には結願の堂宇などがある。

大師通りに戻って,すぐ鼻先の取手駅の東口に着いたのは4時を回っていた。

本日の行程は,歩行距離16.8km,歩行時間3時間36分であった。お参りには50分を費やした。


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