東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻(人類)
はじめに
歩行運動の成熟は、歩き始めの1歳から3歳までは急激に進み、その後ゆるやかな発達を経て、7歳くらいに成人に近い状態になるといわれている。我々の研究室では、この発達の著しい歩き始めの乳幼児を対象に、成長過程における歩行特性の変化を捉え、歩行発達の条件を検証することを目的に、縦断的な測定を行っている。今回は、これまでの研究の経過を報告する。
対象
11ヶ月から3歳2ヶ月までの乳幼児17名、のべ人数は31名である。1歳児については約1ヶ月ごとに継続的に測定を行った。比較対照として、成人男子50名には力学的測定( 93年実施)と、成人男子5名には運動学的測定(96年実施)を行った。これら成人男子は大学生であるが、両方に参加したものはいない。すべての対象者で身長、体重、大腿長、下腿長、外果高、足長、足幅を測定した。身長は立位で行った。対象とした乳幼児の体格について、厚生省が10年に一度行っている乳幼児身体発育調査に照らし合わせると、対象者の体重はおよそ10〜90パーセンタイルに入っていた。一方、身長は10パーセンタイル値よりも低い者が見られた。これは、おそらく、この対象者が小さいというのではなく、厚生省調査が1歳児は臥位で計測したのに対し、我々は1歳児でも立位で計測したためと考えられる。ただし、今回の解析には身長は用いていない。
測定方法
乳幼児はすべて、以下の力学的測定と運動学的測定を同時に行った。
1.運動学的測定
3次元歩行解析システム「KINEMETRIX」を用いた。対象者には肩(acromiale)、股関節(trochanterion)、膝関節(tibiale externum)、足首関節(supratarsale fibulare)の4ヵ所に赤外線反射球を貼り、3台のカメラで撮影した。
ただし、乳幼児の身体に赤外線反射球を直接貼り付けると、対象者本人が外してし まうことが多い。そこで、肩のマーク以外は、各対象者に合わせて赤外線反射球を縫 い付けた黒のタイツをはかせ、歩行路の上を自由に歩かせた。
2.力学的測定
歩行路中央に設置した床反力計2台を用いた。三角形の床反力計の長辺を向かい合わせるように配置し、乳幼児が床反力上を歩くと、左右の足が一歩ずつ入るよう調節してある。
結果
床反力計から乳幼児および成人の立脚期の時間を求めたところ、乳幼児で立脚期が短いことがわかった。立脚期の短さは、歩くスピードが速いことを示している。ここで問題なのは、力学的および運動学的因子は、歩行時の速度に影響を受けるということである。つまり、速さを無視して成人と乳幼児を比較してしまっては、乳幼児の歩行発達による変化なのか、それとも速度の影響なのかを見極めることが難しくなる。そこで、乳幼児の立脚期の時間の平均520msecと標準偏差136msecより、385〜656msecの範囲に入る試行だけを抽出した。成人のデータにおいても同様に選択した。その結果、総データ数は力学的測定によるものは乳幼児が257、成人が265、運動学的測定はそれぞれ75、5で、これらを用いて以下の分析を行った。
1.運動学的因子
肩、腰、膝、足首各部の上下動、左右の揺れを分析するとともに、地面に対する上体の角度、大腿部の角度、下腿部の角度を求めた。 継続的に測定している幼児では、1歳1ヶ月から1歳5ヶ月までの間に、運動学的な歩行の発達が顕著であった。1歳1ヶ月 (歩き始めてから1ヶ月目)では、上体の前傾が見られたが、1歳3ヶ月では直立して いる。平均値で比較すると、1歳児では成人と10度ほど異なるが、前傾から垂直への 変化の時期は早いと思われる。 乳幼児の股関節の伸展は弱く、可動域も成人に比べ 小さい。ただし、踵着地の際、足首関節を成人ほどには背屈していないため、大腿部 を高く上げて、垂直に着地するものと予想していたが、必ずしもそうではなかった。
成人では踵着地直前に足が上方に向かうが、幼児ではその傾向は見られず、膝をや や屈曲したまま、着地している。下腿部角度の最大値(屈曲位)は加齢とともに顕著 に増加する。可動域ではより傾向が著しく、1歳5ヶ月まで急激に増加する。しかし2 歳11ヶ月でも可動域は成人よりも小さい。
2. 力学的因子(床反力)
床反力の下方向、前後方向、左右方向の3分力それぞれにおいて、極値、力積、平均分力、および踵着地から各極値までの時間を求めた。被験者間で比較するにあたり、月齢を横軸にとったものと、一人歩きを始めてからの期間(月数)を横軸にとった ものの、2通りで検討した。これは、歩行特性の変化が、プロポーションや筋力、平衡バランスなど身体内部の変化によるものと、歩行という運動のトレーニング効果として現れる変化によるもの、という2つの観点から比較するためである。以下に、成 人との違いが見られた項目を上げる。
a) 力に関するもの
下方向分力の第一極大値は、成人では体重の約135%であるのに対し、1歳1ヶ月群では平均110%と極めて小さい。これは月齢を横軸にとった場合の方が、歩行開始からの期間を横軸にとったもの場合よりも、その傾向が顕著であった。下方向極小値は、3歳まででは成人より大きな値をとる。第二極大値は1歳前半で特に小さかった。
外側方向分力の力積は、歩き始め7ヶ月目以降から成人に近い値を示した。
前方向極大値は、まだ1,2歩しか歩けない乳児で極めて小さく、加齢に伴いそ の値は徐々に大きくなる。後方向極大値および後方向平均分力は3歳まで成人との差 は大きい。これらの傾向は一部の対象者で、歩行開始からの期間を横軸にとった場合の方が月齢よりも顕著であった。
一部の対象者とは、やや歩行開始が遅かった者で、1,2歩しか歩けない時期は 、月齢は低いが同じ歩行段階にある他の対象者と、類似した力学的特性を示した。と ころが、歩行開始1ヶ月後になると、同じ月齢の対象者(歩行開始からの期間は2ヶ月 以上)と、変わらない状態になった。つまり、歩行開始が遅くても、力学的特性に関 しては、1ヶ月ほどで同じ月齢の者に追いつくということになる。逆にいえば、たと え歩行開始が早くても、すぐに歩行が上達するわけではないことが推測される。
b) 時間に関するもの
踵着地から第一極大値までの時間は、加齢とともに徐々に値が小さくなる。第二極 大値の時間は、3歳までは成人より大きな値をとる。したがって、乳幼児では踵着地 からピーク、ピークからつま先離地までの時間が長いことが示された。これは力の移 動がスムーズにいっていない証拠であろう。特に、歩行開始5ヶ月目までは、それ以 降よりも大きく、一つの臨界期として1歳5ヶ月は、今後注目していくいく必要があるだろう。
考察
かつて成人を対象に、歩行時の姿勢と床反力の関係について人類学会で報告したが、その結果と照らし合わせてみると、乳幼児においても床反力の変化と身体角度の変化とが一致するものが見られた。 たとえば成人の下方向分力の極小値は、膝屈曲と関連が見られた。乳幼児においても極小値は3歳までは成人よりも大きな値を示し、膝の角度を見ると、これも3歳まででは、つねにある程度屈曲した状態で歩いているこ とを表していた。膝屈曲の影響は、第一極大値および第二極大値の時間にも関連する のではないだろうか。
そもそも効率よく歩こうとすれば、上体を垂直にたて、踵着地時には膝を伸展させ 歩幅をかせぐなど、膝の屈曲と伸展を上手に使い分けるほうがよい。今回の結果から 、乳幼児の上体の垂直は早い時期に見られるが、下肢の関節は3歳くらいでも成人と は異なることが示唆された。下方向分力の第一極大値の結果から見られるように、歩行運動というトレーニング効果よりも、むしろ身体内部の条件の方が強く係わってい ることが推察される。したがって、1歳児の歩行特性は、そういった身体的な制約を 多分に受けていることを示しているのではないだろうか。
乳幼児はある時期、歩行らしきものを獲得し、それに興味を覚えたとき、転んでは立ち上がり歩くことを何度も繰り返す。このトレーニングによって、乳幼児の歩行はいっきに上達する。しかし、その際、歩行に必要な筋力、バランスなど身体的条件がそろっているわけではない。乳幼児は形態的及び生理的限度のある中で、歩くための最適な方法を見つけだそうと小さい身体で努力しているのであろう。
今後は、この縦断的測定を続けるとともに、発達の特徴を明確につかむために、床反力のデータは極値だけでなく、全体の形として評価する方法や、速さでデータを選 択しないですむ方法など、より一層検討していく予定である。