第7回 Auxology 分科会研究会 19973月 大妻女子大学

 

 

 神経筋骨格モデルによる2足歩行個体発達のシミュレーション

 

長谷 和徳

慶応義塾大学理工学部機械工学科

 

 1.目的

 ヒトの歩行などの運動スキルの発達は神経系と筋骨格系との間に生じる動的自己組織化の過程であるという数理的理論を基礎とした考え方が提案されている.しかしながら,ヒトを対象とした研究には実験的制約が多く,歩行発達の研究の多くは現象の観察に止まっており,運動構成要素の相互関係を解析的に明らかにするには至っていない.このような実験的アプローチの限界を克服し,総合的な歩行の解析を可能とするため,本研究では神経筋骨格モデルを用い,自律的歩行発生原理に基づいた計算機シミュレーション手法によって,2足歩行の発達過程における体形と神経系の相互関係を明らかにする.歩行シミュレーションは8ヶ月,12ヶ月,20ヶ月,3歳,5歳,7歳,12歳,22歳の体形,および仮想的な体形について行い,生体力学的観点より考察を行った.

 

2.方法

 ヒトの2足歩行体形を足部,下腿,大腿,体幹,上肢の左右合計9節からなる矢状面2次元剛体リンクと,腰部の回旋を表す腰部と胸部の2節からなる水平面2次元剛体リンクの2種類の2次元リンクによりモデル化した.筋骨格系は下肢の主要筋と肩および腰部の筋の左右合計24の筋モデルからなる.また各関節には軟部組織による非線形粘弾性モーメントが作用するものとし,床面は粘弾性体によりモデル化した.

 身体の節寸法や質量などの慣性パラメータ,および筋生理断面積などの筋パラメー タは文献値や身体寸法との比率を用いて定め,幼児から成人までの8種類の体形条件 を定義した.また身体プロポーションと身体サイズの関係を検討するため,身長・体 重が12ヶ月幼児と同一で身体プロポーションが22歳成人と同一な仮想幼児と,逆に, 身長・体重が22歳成人と同一で身体プロポーションが12ヶ月幼児と同一な仮想成人を モデル化した.

 神経系のモデルには16の神経振動子と24の運動ニューロンからなるリズム発生回路 網を用いた.各神経振動子は各関節の屈曲・伸展モーメントに対応するリズムを発生 し,運動ニューロンは神経振動子出力や他の運動ニューロン出力を組み合わせ,各筋 への出力インパルスを発生する.

 歩容の生成には神経系のパラメータを適切に定める必要があるが,本研究では歩行 の評価基準を目的関数とした最適化手法により,これらの値を決定するようにした. このときの歩行の評価基準には水平移動のエネルギ効率を表す移動仕事率と筋への力 学的負担を表す筋疲労度の重み付き線形和を用い,これを最小化するように最適化計 算を行った.計算の所要時間は各年齢の体形モデルに対し,5台のワークステーショ ンを並列的に利用して約20時間であった.

 

3.結果および考察

 各年齢モデルのシミュレーション結果を実歩行の計測結果と比較すると定性的に良 く一致した傾向が得られた.特に幼児体形について爪先からの接地や接地時の膝関節 伸展の不完全さ,および腕振りの振幅の小ささなど幼児歩行の特徴をよく再現するこ とができた.仮想幼児では12ヶ月体形と同様に不安定な歩容で,爪先から接地してい るが,歩行周期は遅くなった.また仮想成人では腕振りの振幅が小さく,歩速が速くなった.

 歩行の評価基準である移動仕事率と筋疲労度の加齢変化の様子を見ると,各評価基 準の値は加齢に伴い減少しており,このことから幼児歩行は相対的にエネルギ効率が 悪く,また筋への負担が大きいことが分かる.

 次に神経系の振動周期を決定するパラメータの加齢変化を見ると,歩行周期の変化 傾向とは必ずしも一致しなかった.これより歩行周期は神経系よりも身体力学系の影 響を強く受けて形成されていると考えられる.さらに神経系の発生リズムの振幅を決 定する上位中枢からの定常入力信号の加齢変化を見ると,幼児ではこの値が大きく, 加齢と共に減少している.このことから幼児歩行は体形による振り子的な運動ではな く,神経系による強制的な運動になっていると考えられる.

 本シミュレーションでは神経系を体形条件に適応させているため,幼児歩行の稚拙 さの原因を身体力学系の要因に帰着させることができる.幼児体形では絶対的寸法の 小ささは勿論であるが,質量分布が成人と大きく異なる.ここで上肢長/下肢長とし て定義した肢間示数と上位中枢からの定常入力信号との関係を見ると,両者の間には 強い相関が認められた.幼児体形では質量分布がアンバランスであり,上肢・下肢運 動の協調関係が阻害されるため,結果として神経系の活動が大きくなっていると考え られる.この関係は仮想体形においても当てはまることから,歩行の獲得には神経系 や身体サイズの発達と共に,身体プロポーションの発達,形成が重要であると考えら れる.すなわち神経系の発達と身体プロポーションの変化により,大きな筋力を必要 とする運動から重力を有効に利用した振り子的な運動への遷移が歩行の発達過程の特 徴であることが分かった.