長崎大・医・衛生
身体発育学は身体発育データによって立つ科学と言える。この科学では身体を計測することの意義は計り知れない。しかし身体計測が生身の人間を対象に行なわれる限り,計測者の思惑どおりに研究が進められるとは限らない。実際,身体計測の必要性に疑間が持たれたり,被験者が計測を拒否することもある。そうなったときに始めて身体発育学は研究者だけのものではないこと,研究者以外の人々が大きな関与をしていること,が見えてくる。これは何も特別のことではない。しかしこのことを考慮した上で,そこから今後の身体発育学の在り得るぺき姿を考える試みは末だ十分とは言えない。
観察者の側から;身体計測に関連して,観察者あるいは計測者はどのようにものを考えているのだろうか?保健活動の場面で,養護教諭に次いで身体計測を行なう機会が多いと予想された保健婦72名を対象に,「身体計測から得られた値の何を対象者に伝えたいか」を質問した。対象者の条件として小学3年女子,中学2年女子のいづれを想定した場合にも,「その値を対象者に伝えたい」割合は身長と体重の場合に95%を越えた。しかし座高,肥満度,体型の場合は,同割合は50%あるいはそれ以下の低値を示した。伝えたい内容をさらに質問したところ,どの計測値の場合も変化量(対自分)が50%以上の高値を示す一方で,「他者や集団と比較した時の高低」は10%以下の低値だった。対象者の側から;対象者は計測をどう受け止めているのだろうか?高校女子153名を対象に横軸を「計測値に関する興味」,縦軸を「人に知られたくない度合」とする二次元イメージ拡散法で,個人別に身長,体垂,胸囲,座高の各イメージを外化・表示した。イメージには大きな個人差が認められた。全体的傾向として「生徒は自己の身長に大きな興味を示すが,その値が他者に知られることをさほど気にしない」,「生徒は自己の体重にそれほど興味を持ってはいないが,値が他者に知られることを嫌う」などが得られた。またイメージの全体的な傾向は,身体計測値,中でも体重の影響を受けることが示された。
改めて研究者の側から;計測データがどこかに用意されており,研究者はそれを分析するだけで身体発育学が成立するのなら本考察は不用であろう。しかし現場での発育計測が必須であるなら,計測の誤差や信頼性に注目するだけでなく。現場における計測の‘意味’を研究の枠組みの重要な部分に組み込む必要がある。身体計測には,そこにどのような人々が関与するかによって,研究者と対象者の二人からなる系,研究者・計測者・対象者からなる三人の系など,さまざまな観測の枠組みを設定できる。日本の発育研究の多くが学校保健の枠組みの中で行なわれて来たことを考えるなら,当事者である児童・生徒や教師が自身の身体計測値から何を学ぶかについても着目する必要がある。身体計測の行為とそこから生み出される計測値は,さらに新たな情報を生み,それは研究者,計測者,対象者,その周囲のいづれにも影響を与え得る。この混沌とした場の中で身体計測の意味を問い直すことが,身体発育学の新たな発展につながると考えられる。